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11月16日 享受清闲!以为自由了,就会写些CBS的好事以鉴后人。
而留下的兄弟姐妹亦不易,且反而受不少恩于日本友人,这种经历对我,对将要出国的人亦非坏事,故而罢笔。
毕业那会儿,也想写写中国的教育制度。结果么当然没有,理由也早已忘却,多半忙吧!
可我还是要引用一师姐是如何描述CBS的:说得都做到了。
并透露一个信息:公司最后竟然没有扣我的住民税(取钱的那天,我似干啥坏事了赶紧逃离了公司。人性啊!)
回来近3月,所见之人和事不少,感慨万千。
买东西时不还价,会被当作猪头宰。
帮爸办退休配药时,来回没少走,每次不得不递烟低头哈腰外加拍马屁。
车校的师傅,不接送,不细心传授,饮酒驾驶,催给考官红包,那气势搞得我都弄不清谁是消费者了。
PS:小路模拟的时候,我才知道有S弯这一项。
一次路过某新华书店,看有日语电子字典,想一试性能。一帅哥售货员上来别提多热情了。我说随便看看的,他反而越发热情了。当我问他普通字典在哪儿时,他手一指拿着字典就走调了。搞的我倒是尴尬无比。
所以我无法否认:小J国家虽小资源匮乏,而国民整体素质和道德之高,让人震撼。
Btw,社会主义还是有不少优越性地,因为政府没给俺家少送东西。
走亲戚时,催我赶紧结婚也就罢了,还要我定买大房子,动不动就说至少也要两室一厅吧。
你说收入是小J的十分之一,而房价也快赶上他们了。花上几十年去买,再用上几十年还给国家。
大众观念如此,唯有汗!中华民族吃苦耐劳,艰苦朴素的品质也不知道到哪儿去了?
以前的平民窟小阁楼,多的是哥们朋友玩伴,故而才有快乐的童年;现在到是多了不少各种各样的狗以及他们的粪便,还文明小区,诶~!
所以我决定把我的择偶标准的第一条定为:不需房者优先。
回来后,每天玩玩游戏,炒炒股,看看片子,或者去小区里观摩大爷们斗斗地主什么的,到也清闲。
提前享受退休生活,能自得其乐,多好!我经常想:到底为了什么而奋斗?
没回来之前,妈就催我赶紧找工作,要么就别回来了。后来说得多了没用也就不说了。
可前两天遇居委里的一阿姨,她说你这么久还没找到工作,可托居委里帮我。
她的热情深深打动了我,但我也只能苦笑蜿蜒谢绝。
愿平静的心长存! 4月23日 之二雪季结束已一月多,不知下此又将会在何时何地与何人,故还甚是怀念。
最后勉强完成AirToFakie180,也算是种慰籍。
如今又可以迎接新的运动,也不禁让人兴奋起来。
上周偶遇一友,问出国有啥收获?一时无语。
想到当年初衷,又受好友激励,终决心写些好玩的东西以作留念。
(纯粹是疯人之疯言疯语)
刚到异国就有幸问过同事,C国的问题在哪儿?结果么激烈的舌战是没能避免。
遗憾的是,如今的我,非常不情愿地,不得不承认,那正是key point。
人性本贪婪,就好比男人就是下半身动物一样,赤裸但无法否认。
听说过C国购买团么,×联卡非Visa却胜于Visa,二十万的包一买6个, 那种烧钱似的豪气,是平民百姓身上,永远不可能有的东西。
仔细想想:人一辈子不就是将有限的生命投入到无限的欲望中去么!
人谁无情,在!(神佛与念神佛的) 之中,即使是清心寡欲,崇高优秀之人, 会忍心自己的父母,爱人,子女,亲戚,朋友,甚至鸡与狗过苦日子么!
所以大权在手,且没有社会大众,或媒体舆论,或根本利益冲突的进行监督监管...
若我是章鱼事件的小导演,非一天拍一片,一片几十女主角不可,
反正就这脸,滥片也有人投资,还照样赚钱!(plus放炮免费)
若我是沉良欲,非Makao LasVegas Dubai间来回转,
能享受这么久似帝王般的生活,就是死也值了!(何况还没有)
若我是藏病,非天天找新人进行私人特别教育,反正我有才我怕谁,
不是吹,那什么TV少了我还真就不转了!(其实连我自己都不信:那是因为我有才)
若我是沉静,今天研个航公,明天造个航天飞鸭,项目基金均分,这回咱共产,
还怕不能顺利通过评审?(就知道:那帮人跟四大天王一样。经典台词:早就想这么干了)
若我是做人造蛋的、产毒饺子的、建劣桥劣电线干的、弄假奶粉的,还搞那些干什么!
只要孝敬好父母(官),自来水当山泉,烂泥当化妆品,空气当氧气来卖都成!
YY毕竟是YY。显然C国大有已经成为,将要成为,拼命想成为这样的人在。
加上,C国貌似还有不少难言的世界之最:
物价上涨率、经济泡沫指数、银行坏帐额、购房艰难度...
如此这般,到底谁在蒙受损失呢?
然而,被C国大众,蔑视唾骂不齿的J国,
由于掌权的两边不合,油价就降了1/3;
3家Phone公司抢客户,手记费就少了一半;
每个商家都千方百计,以抵消原材料价格的上涨; 包装上,仅食品成分的书写顺序不对,那商家就差点破产; 艺人屁股elica来着,仅一次态度不好,就被媒体公众封杀; 如此这般,又是到底谁在获得好处呢? 然而“主”与“人”,本身就是永远的课题。 估计:现在别国看C国的人权,就像C国看自己边上那个疯狂国家的人权一样。 如果,你觉得那边还不错,那也就不会有人非议你了。 其实,不管意识到与否,每个人总有着自己的利益群体。
嫌蔬菜水果猪肉贵的人,定不是农民; 想出台限制海下之人,定是海上之人(可笑的是海上本无人); 持两房以上的人,就希望利马涨成几辈子都买不起的价格; 而还没房的人,就希望利马收拾那个岛,以早日实现江湖大统; 以此推之,掌权的,任何时候都会毫不吝惜地,牺牲百姓利益的。(显然他们有自己的利益群体) 而指望、依赖、相信那些人的人,很有可能将来被卖了,还在帮他数钱。 记得《希特勒的最后几天》那片中,希说:让他们(平民)全上,谁叫他们选择了我。 事不目见、耳闻、亲身经历比较过,而臆断其优劣好坏,可乎!
(而且还是靠单方面的信息) 貌似最近×族问题闹得沸沸扬扬的。
然后大家,一起抵制来着,一起变红心来着。 当然这本自由,可是我在想: 近代被××族统治的时候,还不是要造反,如今统治×族了,就不允许了。 自古人家最多也就是你一个附属国,有着上千年历史, 啥时候成了,你一个才几十年的,不可分割的部分了。 大国沙文主义啊!最关键的是:到底管理的如何? 《淮海战役》中,光头说:
北伐之时群众夹道欢迎;如今短短二十年,所到之处踪影全无。 也就又过了几十年而已,若是突发战争,又会有多少家庭像那时,送粮、送人、捐钱的。 傻人可以治傻,脏人为啥不能治脏呢!正好给那个破岛,作个示范么。
个人以为:没有比治理好异族更难的事情了。 不要逼人家学拉灯,那时政府一定会很高兴, 而伤亡受损失的,还会是谁? 注:以上纯属个人瞎掰,欢迎共同掰,毕竟什么兴亡,什么有则!
2月13日 写在08春节之后,新年之始之一!08年对我来说又是一个意义非凡之年,我坚信。 许久未更新,貌似可记的东西很多,待慢慢写来...
爸与妈终究是不合。
老妈长年待在汕头,去年胃开刀,结果只能自己搞定,我除了给点钱和佩服她之外,啥都没能做!
她却还时时不忘关心照顾两个儿子,这种情感之伟大,是我永远无法琢磨透的。
独自在外摸爬滚打几十年的她,现在的性格、脾气、想法等,亦是我永远无法琢磨透的。
若她儿时能再多读两年书(不能多否则就跟我一样了),准能成女强人。
老爸都进了医院俩次,年初这次:脑梗+心肺不好 → 成功地拿到病危
对他来说,可以“抛妻弃二子”的老酒,在自己性命攸关的面前,也在:一次入院、出院→放弃→重喝→二次入院、出院之后,不得不被放弃了。(到目前为止)
记得在新疆时喝白酒,一瓶/顿;后来在上海改喝黄酒,两瓶/顿;一次入院、出院后再改喝啤酒,四瓶/顿。(即:总要喝那么点酒精才能过瘾)
如果把酒比作电脑的话,我也不难理解他的心情。只不过,每每他还都能喝别人的,这让我着实不服不行。
多半,我这种颓废的性格(可称腐朽人类),也是从他那儿继承的吧!我肯定:人类的进步是绝对不需要这种人的。
然后,爸与妈去年底碰了次头,那也成了爸二次入院的原因之一(也应该是主要原因)。于是妈还是回了汕头。
可怜了我的大叔,无奈扛起照顾我爸的重任。
加上照顾小叔(股骨坏死),加上照顾自己家庭(妻子女儿),加上自己也上了年纪,再加上过年与天寒,他现在的苦闷定是超乎想象的!
而我呢,除了给点钱和偶尔联络一下感情之外,也啥都没做!
不知咋地,最近耳边常响起,记得为数不多的童时顺口溜中的那一首:
『生命成可贵,爱情家更高,若为自由顾,两者皆可抛。』
儿时因好玩而唱,如今理解虽然更深一了层,但已经唱不动了。
没有爷爷,儿时我不可能吃的饱;
没有奶奶,上学时就无法守时;(奶奶给了我第一快手表,上海牌的)
没有姑姑,儿时我不可能穿的暖;(打的毛衣毛裤等等,不计其数,那效果岂是机器产品能匹敌的、有机会定要拜师学两招)
没有姑父,我启蒙不可能那么快,并且现在赚的钱也无法换成rmb;(小学时就有优厚的家庭辅导) 没有小叔,我多半就成了野孩子了;(当然儿时也挨了不少板子,无疑那些也成了我宝贵的经验和财富)没有大叔,我现在立马就得回国; 没有大伯,儿时我就得为冷饮(中冰砖),手帕,纸笔等日用品发愁; 没有我妈,我不可能读完大学和研究生;
没有我爸,当然也不可能有我了;
...
仔细想想,所受恩惠又何止这些。
所以我自觉是很幸福得。虽然少了父母的关爱,但得到了更多人的关爱!
所以作为俞家孙子的我,也应该为父母、家族,和关爱照顾过我的人,做点事情了。
正如:男人终究是摆脱不了自己家族(例:教父)一样,我也必须为父母、家族做点事情的。(BTW:女人要嫁的其实是男方的家族)
所以现在的我虽然不能唱那首顺口溜,但我心情依旧无比舒畅。
因为我坚信:终有一天我能随心所欲地唱它的。 10月17日 一点祝福!小安同志终究还是磋掉了。讲老实话,还是瞒同情他的,弄的一身病的,不过他的确不适合做领导人。
国内貌似正在开经常开的会,也只能天真地希望小胡同志为老百姓特别是农民做点事了,毕竟当代的鲁迅还不可能出现。
老百姓缺的永远是钱,而谁又知道一个民族现在到底缺少什么呢?
今年还真是不寻常的一年,哪一年又不是呢?
首先让我数一下今年结婚的亲戚朋友:
元旦时远亲应该是表弟吧一位,惭愧的是我连姓都记不清了。
大学哥们三位,有一位貌似还没摆酒。无疑以后可共鬼混的人又少了。
很羡慕一貌似正在热恋中的大学室友,他呢一定要等我回来后办事,服了他了真够哥们的!
月底大表哥也结婚了,据说蜜月要明年左右了。
小小地祝福一下他们了,祝白头偕老,早生贵子好了。
今年由于各种原因已经回国和要回国的兄弟也不少:
一兄弟在他的blog中介绍:从银行自动取款机取出了假钱。又长见识了。
一回北京的兄弟说,空气中沙太多,最好别去。
一回上海的兄弟说,现在的年轻人超开放,尺度剧大。
回头想想这也算是社会进步的标志么!而我们呢不服老不行楼!
据说之前跟公司斗争的一哥们也即将要离开了,说什么好呢?非常高兴一起斗争过。
然后只能祝这些兄弟们一帆风顺,万事如意了。
最近出水痘。
被老大赶回家一周,刚好可以好好休息休息,用掉点有休,倒也不是什么坏事。
只是比较奇怪,小时候咋就没出呢?还有就是,以后靠脸蛋混饭吃是不可能的了,哈哈!
是啊,以后靠什么混饭吃呢?是该好好想想了。
前两天楼下搬来了后辈,看到他还不尽想到以前的自己。
看到他发现几十个小强在房间里游逛,想杀也杀不干净而表现出的无助时,我什么也没做。
这对他也算是种历练把,怎么说呢,国外最可怕的无疑是流着同样血的同胞。
最后也祝他能够克服种种困难把。 8月25日 咸!有没有不咸的海滨浴场?
至少下一次去的海滨浴场的水要干净点,
只是可惜了我的又一个第一次...
否则,莫不是又要回到温水pool。
现在身上貌似还飘散着淡淡的咸鱼味,效力的确可以的!
还有一点,如果化妆品都像今天涂得防晒霜那样,用起来有“違和感”,
那也只能对广大的女同胞们,略表一点同情之心了。 8月14日 研究研究BTW:小安同志也瞒挫的。
一大臣说:女人是生孩子的机器,然后官就被“和谐”了。
一大臣说:原爆能让战争早点结束,然后官也被“和谐”了。
还有一大臣,莫名其妙地就把自个儿的命“和谐”了。
今晚,一回顾东京审判的节目说,如果南京大屠杀是非人道,那原爆又算是什么。
其实老百姓还真是不喜欢听不想听的东西。而这个缺点又不止一次地被利用。
记得小时候就奇怪,
为啥某些国家发生个车祸什么的,也就死个把人吧,却被反复滚动播放。
换了一个国家也不例外,特别关心别国的桥梁,煤矿,肉包子,股票,房价,假货,知识产权,腐败等等问题。
了解的人都知道,国内问题又岂止这些。所以貌似说的都很有道理。
但我怎么都觉得:一穿西装戴领带的流氓在攻击另一个还没有穿上西装戴上领带的流氓。
要不一片里好像说:最肮脏的地方莫过于两处,男人却又非常喜欢。
而作为利益不止一次被流氓毫无顾忌牺牲的,并且有劣根性的老百姓的一员,
是不是成为流氓的一员更好些呢? 7月13日 其实我也不知道为什么老妈跟我说:该找女朋友拉!
我说回了国再说。其实我也不知道为什么。 老爸跟我说:赶紧在上海买房啦!
我说等有了100万再说(不是日元)。其实我也不知道为什么。
研究生老板说:你有时应该硬一点!(不是器官而是性格)
可到了日本还是硬不起来(强调:不是器官而是性格)。其实我也不知道为什么。 很多哥们跟我说:早点回来吧!
我说至少待3年。其实我也不知道为什么。 7月10日 也许今夜难眠讲到睡觉,每逢双休日我总要睡上10个小时以上。睡觉时,那种什么也不用想,什么也不用干,偶尔还做做梦(晚睡晚起无疑就变成了白日梦),时常还带你进入奇妙的不知所以然的世界里,我真是太喜欢了!
但是,也许今夜难眠。成败不出意料的话就在这周末了。成败或许早已天定,我们现在也就尽尽人事而已吧。
对的东西为何不去坚持呢?这话搁在国内早已被人笑得体无完肤了,可在这个国度貌似还保有一丝实现的希望,想到这点我又是多么的羞愧和无奈啊!
要考虑的东西由树状结构变成了网状结构。可我所担心的是:万一交锋时再漏关键点的话,对于弱势的我们来说更加不可能取胜了。这就好比冠军杯决赛,本来0比3落后,下半场还少两人,这叫人怎么踢么?
基于体育精神,踢总比弃权好。大不了回家种地被。对了,咱没地,那当长工总可以吧! 7月8日 又有写些东西的冲动了!昨天,卖身契总于还是在Bonus前下来了。这意味着很多很多...
因为这个,我突然觉得应该跟大家一起干些,搞些些什么了。
成功也好,失败也罢。
然后,突然就觉得自己充满活力了。
来日本这么久,心情没有像现在这么舒畅过!哈哈,有意思!
接下来的一周应该会很艰苦。那应该是相当艰苦!
但不管怎么样,我这样的人如果不干这样的事那才叫浪费。
这年头愤青也是珍惜动物,特别是上了年纪的愤青。
自认不是,坚决不是。
然后,今天又有写些东西的冲动了。
以前觉得写东西给别人看,太累没意思。
今天想,不如给自己一个整理思绪,安静思考的地方!
对于我这样一个,反应稍显迟钝,行为又快于思维,...的人来说尤为必要。
至少现在是这样想地!
今天就折腾到这儿吧,睡觉睡觉。一点多了,明天还要整“正”事呢! 9月25日 富士山之行!8月20日 日曜日 晴れ 今日は連休九日の最後の日だ。学生時代の夏休みと同じように、休む前によく考えるいろんなことをやるつもりだったが、結局はしばしば何も完成していなかった。今回の長期連休もこの例外にならなかった。ただし、今覚えられることが二日間の富士山の登りしかない。 元々三日間の富士山への旅行は、何かの原因で二日間になり、しかも「山麓のんびりグループ」もなくなり、ただ「登山グループ」が残された。そもそも頂上まで登るつもりなので、私はあまり影響を受けなかった。しかし、その後たくさんの友達は行かないことを決めた。また、出発する当日で一人は体調が悪いためか、行かせなかった。残念極まりなかった。 五時間ぐらい乗って、バスで走れる終点といわれる河口湖口(富士山5合目)に着いた。ここは高さが二千メートル以上で、雲がそばにあるかのように見えた。昼御飯を食べてから、早速登山を始めた。一メートル一メートルと、みんなが自分のペースを保って登っていた。時々話をしたり、風景を見たり、写真を撮ったりで、楽しくてたまらなかった。やっぱり旅をすれば、道連れがいたら本当によかった。ところで、山を登った人々の中に、外国人を除いて、年寄りと子供たちがよく見えた。会社の日本人の話しによると、毎年必ず登る年寄りが大勢いるそうだった。そういうと、独りでに登るのはなかなかすごいと感心していた。彼らに負けないように私たちも頑張っていた。三千メートルを超えると、上に登り続くにつれて、呼吸が少しずつ難しくなってきた。みんなは登る時に深呼吸をした上で、足と体に負担をかけないように急がないでよく休憩をしたので、高山病を大体乗り越えた。知らないうちに、とても楽しかった6時間を過ごして、午後7時ごろに漸く八合目の白雲庄に着いた。天気がいいためか、気持ちがいいためか、距離が長い前半が終わると、みんなが大変な感じがなさそうだった。だが、二日目早朝1時からの辛さは今でも想像できないことだ。 晩御飯は僅かなカレーライスで、七人しか寝れない所で九人を寝させるなんて、これから大変なことが続々に始まった。私は夜熱くて全然眠れなかった。そうすると、起きる時に頭がふらふらしていた。その上、すごく雨が降ったり、強い風が吹いたりいた。また私はレーンコートなどの装備を持っていなかっただけでなく、その店でも変えなかった。隣の友達が何人もあきらめた後で、私も「どうすればいいか。これで終わるか。」と思わず悩んでいた。「この天気で頂上に着いてもご来光が見えないはずだが、せっかく富士山に来たのに、頂上まで行かないと一生の気の毒にならなりとも限らない」と思うと、行かない人からレーンコートを貸してもらって、きっぱり出発した。途中で風がもっと強かったせいに、登り続けた友達がほとんど帰ってしまった。それなのに、私と外の二人で一緒に石を探って懐中電灯をつけて、どんな強い風にあろうが、相変わらず上に登り続いていた。その時に頭の中に絶対帰れず一生懸命登るしかないだった。多分これは頂上に登れるねばりだろう。4時ごろにいろんな全ての困難を乗り越えてやっと頂上に着いた(その後の二人を加えて今回は行った34人の中で、5人が成功した)。予想通りにご来光とお鉢めぐりを見に行ったけれども何も見えなかった。しかも、頂上で完全に濡れてしまった靴とジーンズをはいた体がずっとぶるぶる震えたことと登る時にちょっぴり不注意して命がなくなりそうなことを思うと、おそらく二度と登りたくないだろう。一方で、最高峰に達した成就感がなかなかいい感じであり、おそらく一生でも忘れない体験と思い出になるだろう。若し再び登る機会を与えたら、どうすればいいのか。とにかく、行くかどうかはともあれ、天気状況についての確認は何より大事なことだ。 8月8日 七夕祭りと花火大会!8月6日 日曜日 晴れ プライベートの時間が多い学生時代と違う今のサラリーマンの生活では、平日がとても長く、土日があっという間に過ぎてしまう感じがある。今日もいつも通りに、最高の朝寝坊をして、昼まで何もやらずに家でゴロゴロしていたけど、昨日はすごく大変だった。 友達から水泳に誘ってもらうことが何回もあったが、気分が悪いとかサッカーをやるとかを理由にして、行けなかった。昨日、何ヶ月ぶりかの水泳がやっとできた。夏であるためか、学校も休みに入っているためか、人がずいぶん多かった。しかし、プールでの人数と言うと、中国のほうが比べものにならないほど多い。中国のプールでは水泳をやるというより水で遊ぶと言ったほうがいいと思う。早速水に入って水泳をやり始めた。やっぱり体を鍛えるためには水泳が一番いいね。先々週に何時間かのサッカーをやってから腰と足に筋肉痛が出ていて、クロールがすこしできる程度の私には、一回25メートルをただ二、三回泳ぐだけで肩の筋肉がもう痛くてたまらなかった。不意に隣の子供たちの姿を見て、どうしてこんなにめちゃ速く泳ぎまわれるかという疑問がわきあがった。まぁ、それはともかく、彼らに負けないように頑張り続けることに決めた。二時間で何百メートルも泳ぐなんて、自分でやれるところまでやったことに本当に満足した。終了する前偶然に、先輩と奥さんに会った。話によると奥さんは日本に来たばかりであって、日本語があまりできず、知り合いも少ないため、非常に大変なようだった。しかし、二人が漸く一緒になり、今後どんな困難があろうが乗り越えるのだろうと考えると、なかなか幸せだなあと思った。先輩たちと別れた後で、プールで自分の体重を量ったところ、70キログラムになってしまったことがとても気になった。これからもっと運動をやらなければいけないと思った。 その後、安城の七夕祭りを見に行きました。安城に住んでいる日本の方から非常に興味深いと紹介していただき、しかも中国ではこの祭りを一度も見たことがない私にとって、七夕の祭りはいったいどんな雰囲気だろうかと興味をそそられた。印象深かったのは、綺麗な長い飾り物がたくさん吊られていること(名前は知らないけど)と大勢の女の子が浴衣を着ていること(最初見た時に夏の着物は確かに薄いなんて勘違いしてしまった) でした。他には、立っているでかいドラえもんとか、金魚をすくっている子供とか、パワーダンスをやっている女の子とか、伝統的な踊りをやっているおばさんとか、すべては私の貴重な写真の素材になった。人の群れに従って歩きながら、中国人をよく見つけた。実際は、祭りへ来た中国人が多いのではなくて、中国人らしい服装やカメラを持っていることなどで目に入りやすかったわけだった。「また男ばかりだ。声をかけずに進みましょうか。」と、みんなが口をそろえて言ったのは、とっても面白かったことだ。 夜は岡崎の花火大会を見に行く予定だった。少し遅れて、七時半ぐらいに電車を下りてからどこも込んでいるとは思っても見なかった。再び人の群れに従って、歩きながら花火を見た。少しすると、一歩も進めない状態に入っちゃった。「多分この道は一時通れないだろう。」と思った瞬間前の人々は後退し始めた。しかし、後ろの人々はまだ前に向きだった。こうなると、日本に来てから、はじめて押し合い圧し合いと言えるほどの最も凄い混雑を体験した。三万発の花火よりも人数の方がもっと凄いという状態では、先に来ている友達と合流したかったのが明らかに無理だった。外の静かな道を歩き直し、漸く花火を見るのに、とてもいい所だと言われたハイウェイに着いた。友達三人で花火を観賞する傍ら、中国語で花火を修飾する「火樹銀花」という単語があるとか、自慢のディジタルカメラで取った写真を比較したりとか、たくさんの話がはずんだ。 「你好(こんにちは)」と、突然前の綺麗な浴衣を着た二人の女の子が私たちに声をかけてきた。 「你好,你的中文真好。(こんにちは、あなたの中国はすばらしい。)」と思わず言った。 「我是中国人呦。(中国人だよ)」と答えた。 「真的!(本当に!)」と私たちが半信半疑に言った。 失礼極まりなかったが、その時服装と見た目などによってどうしても日本人であると思った。話が進むと、彼女たちは朝鮮民族の中国人であって、一番目の外国語が日本語で、大学に入ってから英語をを勉強始めたことを了解した。「そういうことか、やっぱり先ほどはそんなに勘違いをした」と思って、先ほどからの疑問も解けた。そういったら、四カ国語ができていて、少なくとも三カ国語を使いこなせるのは、とても凄いじゃないですか。その後、みんなで花火を見たり、いろんな話をしたりで、時間がたつのが本当に早かったよ。九時半かそこらにみんなが別れを惜しむように、一日の疲労と楽しい思いを持って岡崎公園を離れた。 昨日はすごく大変だったけれども、その苦労に値する楽しさがあった。 8月1日 気分爽快なサッカー!7月31日 月曜日 晴れ 日記をつけていない日がもう一週間になってしまいました。最近は努力と意欲がなんとなく不足しているような気がします。日記を書くとき、使える表現ばかり使っていることとか、いつも同じようなところを間違いがちとかの点が気になっています。どちらにしても、これを日記の書かない言い訳としてはいけません。もっと書きながら、ちゃんと真面目に考える必要があると思います。何も考えずにいると、年月が過ぎるのは本当に速いです。あっという間に、七月の末になりました。今は日本での生活にだいぶ慣れたと言えるものの、それにしたがって考えも少しずつ少なくなっているので、このような慣れは決していいことではないと思います。実際はもっと豊かな生活を過ごすようにすべきです。それに、人は環境に拘らないようにすべきです。人生はがんばることだけでなく、楽しむことも大切なのです。 先週の水曜日に有休を一日取って、ビザ更新と住所変更と保険申告のことをやってきました。やってきたというより、やり始めたと言ったほうがいいです。今の段階では待つしかないです。サービスと言うと、日本は中国と比べ、ずっと良いレベルであると言われています。しかし、手続きを簡単化するまでのことはありません。まだ夢みたいだけれど、全てのことをインターネットでやれるようになってくれれば、なんとすばらしいことだろう。 先週の土曜日に、友だちと一緒にサッカーをやりに行きました。多分二ヶ月ぶりのことだろう。今回はワールドカップが開催される前に、既に計画を立てていました。開催した人々に心を込めてありがとうと言いたいと思います。今回やったところは川のそば、高速道路の下でした。風が時々強かったし、景色もまあまあだったし、この河床と言うところはなかなかよかったです。午後出かけた後で雨ががんがん降り始めたので、今回は楽しく遊べるかどうか心配しているうちに、神さまに助けてもらうかのように雨が思いもかけず止みました。そして、サッカーをやる時雲が多く、温度も高くなく、運動するのにとてもすばらしい日でした。みんな気持ちがはずんで、一回三十分で四、五回もやりました。二ヶ月ぐらい運動しなかった私にとってはけっこうな運動量でした。その日は何も影響が出てこなかったけれども、今日は筋肉が痛くてたまりません。歩く様子は少しロボットみたいです。しかし、筋肉痛がどんなに強くても、みんなで一緒にサッカーとか何かやれば超楽しいことは間違いありません。サッカーをやってから、アピタで晩御飯を食べました。運動のお陰で、みんなは食欲がすごく出ていました。私と同様に、さぞその夜にみんなは美しい夢を見れたでしょう。続けてぐっすり眠れるように、私は今週の土曜日に水泳に行くことにしました。久しぶりのサッカーと久しぶりの水泳は、気持ちがなかなか良いですね。7月24日 女の子いる飲み会!7月23日 日曜日 曇り時々雨 ビザを更新するべき時期になった、ということはつまり日本に来てからそろそろ一年になりました。独りで静かにしていると、この一年間で何をやったか、どのような収穫があったか、自分の夢は何か、その夢のために今のやり方はいいか、…、というような疑問がたくさん湧き上がります。しかし、私はいつもはっきり答えることができません。多分これこそ私とすごい人との差だろう。自分にしかできないことが絶対にあると信じていますが、自分を十分知らないので、自分にあっていて楽しく進める道が見つかっていません。今すべきなのは毎日を大切に着実に過ごしながら、よく考えるということです。 日本に来てから、以前住んでいた刈谷市から今の名古屋市大高町まで一回引っ越しました。引っ越したけれども、外国人登録証の住所をずっと変更していません。その時に住所変更の手続きをやろうとしたものの、たいしたことではないと思ったので、そのままになってしまいました。しかし、国民保険やビザ更新など、いろいろなことをするととても重要なことだと言われます。結局、考えは全然間違っていました。やっぱり自分ひとりでどんなに考えても、考え不足は必ずあります。なんと言っても一人での力は限られているからです。 金曜日の夜に「外人部隊」(ぴったり合うのは謝さんと私だけですが、今隊員が大勢います)というグループの名義で初めて女の子を誘って、ビアガーデンに羊の肉を食べに行きました。食べ放題はただの二時間なので、羊の肉をどんどん焼いて速く食べようとしていましたが、後半には焼く速度に食べる速度が全然間に合わなくなって、たくさんの羊の肉が焦げてしまいました。浪費はよくないものだけれども、しかたがないと思います。やっぱり女の子がいると、話題が大部変わりました。それほど真面目な話題でなく、もっと変わった話題になるとは思ってもみなかったのです。みんなが楽しく、リラックスすることができ、私にとっても日本の方と交流する機会が多くできれば、何よりです。 ビール一杯しか飲みませんでしたが、思いもかけず帰る時頭がふらふらしました。実際父はお酒に強いですが、彼のこの遺伝子はもらっていないかもしれません。父は新疆ウィグルに行ってから、すごく飲めるようになりましたが、そういった環境があれば、私も変われますか。わからないですよね。しかし、健康のために、あまり飲めないほうがいいです。営業している友達の一人を思い出しました。彼は、たくさんの飲み会に参加しており、常にお酒とかビールとかたくさん飲んで、酔っ払ってしまったことが何回もありました。この前、胃の動力が不足らしく、食べたいのにあまり食べられなくなっていました。幸いなのは、最近少しずつ回復してきていることです。これから、たぶん彼はどのようなうまいお酒をもらっても、遠慮しなければならないのだろう。7月18日 変態会社!7月17日 月曜日 曇りところにより雨 最近、毎日ぼんやりしておそらく頭が詰まったり錆びたりしていたので、日記は一週間ぐらいつけていませんでした。先週はたくさんの事柄が起きており、何度も書こうと思いましたが、結局全て諦めずに書けませんでした。 先週の土曜日に名古屋駅の近くの本屋さんに行きました。以前から本の値段は日本のほうがかなり高いということを知っていたので、日本に来る時に少し本を持ってきましたが、やっぱり足りないですね、実際に足りるわけがないんです。その「三省堂」という本屋さんは本当に大きくて、どのような本でもあるかのようです。外国人に向けの日本語試験の本だけでなく、仕事と関係がある車や信号処理の本もたくさん見つかりました。そして日本語の本はもちろん、適当な車についての本を買いました。しかし、残念なのは、日本語のレベルが低い私には、その信号処理の本の内容を理解することは非常に大変なことです。専門の本についてはやはり母国語で読むのが一番簡単だという感じが思わず出てきます。というより、私の日本語が全然だめであり、もっと頑張る必要があります。 また、先週会社からの次の一年の契約書と健康診断の書類をいただきました。「一年間の身売りの証文」と言われた契約書が来るのは本当にはやいです。それに、一週間で回答しなければいけないことはたいへん厳しいと思います。私のように計画を立てた人は、期限までに回答できるので、時限を伸ばすことはありませんが、多少迷っている人は多分悩んでいるでしょう。なんとなくひどいような気がしますけれども、仕方がありません。その上、会社で今年健康診断が行われるのはとても珍しいと言えます。うちの会社のことだから、以前は健康診断がなかったのは当然であり、今後はあるかどうかまだわかりません。気になるのは、去年の一年間で何人も病気になってしまいました。一番ひどいのは胃穿孔でした。身体が第一ですから、自分の体に気を配るのは自分しかいないのです。それで、私の知人たちは一生懸命頑張っている同時に、身体も気をつけないといけないです。私も日本に来てから、以前より運動不足になってしまって、特に最近は体を少しも動かしていないのが気になります。土日に少しスポーツをやったほういいと思いますから、先ず周りに同じような興味を持っている友達がいないか探すことに決めました。みんなで一緒にやってもらえれば一層楽しいじゃないでしょうか。 7月17日 韓国のキムチと日本での初カラオケ!7月9日 日曜日 曇り 残念ながら、早朝のワールドカップ準決勝の試合は忘れてしまって、見れませんでした。今回のワールドカップで残るのは決勝の試合しかありません(イタリア対フランス)。また早朝の試合なので、見るかどうかまだ決めていません。たぶん自分が好きなチームはすべて淘汰されてしまっていて、前より興味を失ってしまいました。ところで、この二三日にはウィンブルドンテニスもあります。テニスはあまり知りませんけれども、選手たちのすばらしい技術と熱戦に興奮し、二つの決勝を見ました。なかなか面白かったです。 先週の金曜日に、終業してから急に興味をそそられて同僚のイさんと謝さんと一緒に韓国料理を食べに行きました。辛い大根、辛い胡瓜、伝説にもなっている辛いキムチなどは、いずれも粥にいいおかずだと思われる口当たりでした。そのキムチは日本に来てから食べたものの中で一番辛いものでした。辛さというと、私は特別に好きなわけではないけれども、このおかずの辛さについてはとても好きです。自分で作れれば、なんとすばらしいことでしょう。おいしい料理を食べながら、三人で話もはずみました。「油を売る」、「ばれる」、「ばかにする」などの単語の意味から、キムジョンイルとキムチの発音が似ていることまで(全然似ていないと思うけど)(ところで青椒肉と似てるがい?)、中国の広東人が命を賭けるような食べ方から(ハクビシンを食べSARSを流行らせたは広東人だった)、中国の珍しい動物のチベットヤクまで、家族の話から無難な話し方まで、いろいろなことを話しました。三人とも楽しくてたまらず、いつか再び来ようと話し合いました。 ご飯を食べた後で、カラオケに行きました。もともと歌が下手で、その上日本の歌がぜんぜん歌えないので、最初に歌うことになると楽しい空気がしらけるかもしれないと心配していました。しかし、思いもかけず中国の歌が一杯あり、大喜びしました。一曲一曲歌うに従って、外の二人は歌が上手だということに気がつきました。悔しかったですけれども、結局は彼らに勝てませんでした。次回は負けないようにこれから練習します。やることが少し子供っぽいですね。でも、子供の心を忘れない大人になるのはいいことじゃないでしょうか。7月10日 北朝鮮すごい!7月5日 水曜日 雨のち曇り 昨日、七月四日はアメリカの独立日ですけれど、早朝に人を呆れさせるハプニングがありました。二つの間になにか繋がりがないとも限らないと思います。このみんなをびっくりさせる事件は、北朝鮮がミサイルを早朝連続六発、午後一発発射したことです。北朝鮮はイラクが倒されてから、悪の枢軸の一つだと言っても言い過ぎではありません(もう一つはイラン)。専制的な国はやっぱり危ないものですね。それより、もっと危険なものは貧乏そのものだと思います。なぜならば、中国では「窮すれば変化を思う」というぴったりした諺があるからです。一旦専制と貧乏が結びついたら、どんなに危険な国になるのだろう。想像も全然できない今の北朝鮮はおそらくこのような国にほかならないと思います。そして、今の北朝鮮のいろんなやり方からは、以前の中国が思い出されます。近代史で教えてもらった「落後したら打たれるにちがいない」と言うことを信じていた中国は、その時に先ず核兵器を開発したのじゃないでしょうか。今の北朝鮮も多分そのように考えています。だが、ずっとひどいことをやり、周りの国々にとってはたいそう迷惑になってきました。武器の開発は別としても、どんな言い訳があっても拉致することはすべきではありません。主権を大切にするとともに、人権こそ尊重すべきなのです。私は「主権のために人権を捨ててはいけません。逆に、人権平等という言い訳で何でもして良いわけではない。」という考えを持っています。これから北朝鮮のような、何にも恐れていない、また貧乏で非民主的な国に対して、どうすればいいのか、おそらくはっきり知っている人がいないので、みんな悩んでいます。私の唯一の希望は、難しいけど武力手段を使わずに解決するということです。どの国においても、政治とはグレーなものですが一般民衆たちは素直だということは間違いないと思っています。戦争になると、いつも結局死んだのは一般民衆ばかりになるに違いありません。 少し重い話になってしまいました。このようなことはやっぱり政治家が考えたほうがいいかもしれません。ところで、今日の早朝にはワールドカップの準決勝の一つが行われていました。ディフェンスが強いといわれたイタリアが延長戦での二つのすばらしいゴールで開催国ドイツに勝ちました。この試合の前に、98年のワールドカップと同様に、フランスのミッドフィールダーが強くて、ブラジルに勝ると思うので、今回も勝つでしょう。私は今回優勝する可能性が一番大きいのはイタリアだと思っています。結果的にだれが優勝するのか、まもなく七月九日になりますから、皆さん一緒に楽しく待ちましょう。7月5日 キムの本と中田英寿引退7月3日 月曜日 晴れ 一日また一日、何もやらずに一週間を過ごしてしまいました。しかし、目標と希望を持ち、大切に日々を暮らしさえすれば、人生を楽しめると思っています。そして、新たな一週間が始まりました。 夏がそろそろ始まるので、先週の日曜日に髪を切りに行きました。家を出る時は大雨でしたが、自転車で駅に着いた時には、不思議なことに止んでいました。いつも通りに、予約時間は十二時でしたが、一時間ぐらい待って、一時ごろ順番が回ってきて、開始した作業は半時間しかかかりませんでした。慣れればたいしたことはありません。この美容室は特に好きでも嫌いでもありません。たぶんこのまま、髪を切りたい時はきっとまたこの店に行くことでしょう。惰性とはこのようなものだと思います。ところで、待つ時間こそ長かったものの、その雰囲気の中で本を読むのは楽しいことじゃないでしょうか。今回、キムの「思い描く世界に」という本を読みました。私にとってはかなり面白くてすばらしい本だと言えるので、髪を切ってからすぐ本屋さんに行って買いました。「梅雨には梅雨の良い所があるから、大変やけど雨から逃げずに、雨に流されずに、雨の全てを受け止めて、…」という言葉はなかなか面白くて、印象深かったです。昨日の夜に宮崎駿の「ハウルの動く城」を見ました。彼の映画を見るのはとても楽しかったです。だから、もっと彼の映画を見たいです。 先ほど、中田英寿の「人生とは旅であり、旅とは人生である」と言う引退表明を聞きました。私も感動しており、彼の引退文章が気になり、彼をもっと理解できるように、いつかまたこの文を読ませていただきたいと思います。沢山の人がもったいない、あるいは悲しい気持ちになるのはもとより、たいそうびっくりもしました。でも、皆が彼を応援し続けるのが一番大切なことじゃないでしょうか。6月30日 新人さんと年齢の数え方6月29日 木曜日 晴れ 一ヶ月間、ほとんど毎日夜はサッカーを見ましたが、昨日と今日はサッカーの休日で試合が見れないので、少し変な(物足りない)感じがします。Wカップが始まった時は、その時の夜にサッカーを見るのは大変なことで慣れそうもない感じもしていました。しかし、あさっての早朝にもっとすばらしい試合があることを思うと、わくわくしました。 今週の火曜日の中日交流会に、今年五月に日本に来た中国人が大勢いました。彼らの姿を見て、自分のおよそ一年前のことを思い出しました。日本の方ばかりでなく中国人も含めて、交流会が行われるのはとても役立つことだと思います。交流会でいろいろなことを教えていただいて、開催者に心から感謝しています。今回の交流会で女性が語学の素質を持つということを再び証明されて、男性たちが負けないのは難しい気がしました。実際、負けるか勝つかは別として、言語の勉強においてなるべく女の子に習うほうが間違いありません。 最近、偶然日本の方と年齢の数え方の話がありました。両国には数え年齢と満年齢があって、満年齢はあまり違いませんが、数え年齢のほうは中国の地方でも違うことがあるかもしれません。例えば、「生まれた時は一歳で、旧暦の春節が過ぎると二歳になる」という数え方があります。この数え方によって、数え年齢では二歳ですが満年齢は一歳にも達しないことがあるのは、ちょっとおかしなことですね。そうすると、中国では他人に年齢を聞く時、一般的に答えは一つの数字しかもらえず、この数字が数え年齢か満年齢かわからないので、他の人に年齢を聞くことにはあまり意味がないような気がします。日本では、「次の誕生日まで何歳になる」という答え方がありそうなので、比べるともちろん日本のほうがわかりやすいです。ちなみに、おそらく中国では年齢がわかりにくいように、そのようなやり方をしているかもしれません。 もう一個の偶然の機会で、日本の別の人に年齢の数え方を聞いたことがありますが、「次の誕生日まで何歳になるという答え方はしません。日本でも数え年は、生まれた年の正月時点(通常生まれる前)で1歳、以降正月を迎えるたびに年を取るという考え方なので、12月生まれの人が1月になると満0歳でも数え年では2歳になります。」という答えをもらいました。 それで、私の結論は各国の年齢の数え方が全て難しいので、他人に年齢を聞くとしてもあまり意味がありません。 6月29日 宮崎駿の「海が聞こえる」とWカップ6月26日 水曜日 雨のち曇り 気づかないうちに日記をつけない日が三日になった。土日に家でゴロゴロしていたので書けそうなことはなかったという言い訳で、日記をつけていませんでした。やっぱり怠け者のようです。努力不足の時、最初の日記の内容を読み返して自分の決心と目的をよく顧みるべきだと思います。 昨日は「海が聞こえる」と言う宮崎駿の作品を見ました。以前に宮崎以外のアニメもいくつか見たことがありますが、このアニメは私にとって最も印象深いものです。ストーリーは、高知の高校での出来事で、主人公は松野と杜崎と東京から転校してきた里佳子の三人でした。このアニメの中の男女関係はあまり特別ではないけれども、上手に続けて人を飽きさせないストーリーの展開はとてもすばらしいと思います。そして、アニメの美しい音楽と高知の面白い方言を聴くことは、聴覚上の一種の楽しみだと言えます。「土佐弁と言うイントネーションで、ちょっと時代劇みたい」とか「東京弁で何や喧嘩うり理由かなあ」とか台詞がかなり面白かったです。「何が子供のことを考えろじゃ、中学生じゃないろうが。まったく下らん、お前も、そっちの男も」とか「とにかくあさって戻るき、帰ってからちゃんと話すき」とか、高知弁はとても面白くてたまりませんでした。宮崎の作品は音楽がうまくて、画面が美しいと言われていることを以前から知っていたので、機会があれば彼の作品をたくさん見たいです。楽しみながら、日本語の勉強になるかもしれません。 昨日のサッカー、正確には今日の早朝のサッカーの試合は、オランダとポルトガルが戦ったみたいです。一試合にレッドカード四枚と黄色カード十六枚とは史上最高です。そんなにカードが多く出されたとは全然思わなかったので、今日夜のニュースで始めて聞いてびっくりしました。しかし、今もう一度考えると確かにしょうがないです。一生懸命にやらなければ負けてしまうと思います。どことどこでもそうじゃないでしょうか。 イングランドとエクアドルの試合も激闘になりました。ベッカムの有名なフリーキックがいつも正念場で役立つことに、彼はとても大喜びでした。この大会でも今まででフリーキックを生かしてゴールを二つ取っており、彼は本当に強いですね。ゴールを取った後でベッカムが楽しそうに祝うのを見ながら、この大会は彼にとっては三回目だと思い出した。以前の彼はとても意気込んでおり、またたいそう若かったですが、今は彼の顔にも皺が寄りました。この大会で、ジダンもあんまり走れなくなったとか、ロナウドもずいぶん太くなってきたとか、いろいろなことを思い出して、時間が立つのは早いという嘆きを禁じ得ません。 |
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